神に護られてこそ四海を家となせる
写真1.2015年8月に、福建省福清市Q村の大礼堂の二階で上演された閩劇。舞台の両側にデジタルスクリーンを設置し、そこに歌詞と科白を表示するのが最近のスタイルのようだ。
写真1は、福建省の伝統的オペラの一つ閩劇(Min Opera)「呂洞濱招親」の一場面である。閩劇はその別名に福州劇、福清劇とあるように、歌詞と科白は福州方言が用いられており、現在、福州市を中心とする福建省北部、中部および福州出身者が多く移住する台湾、東南アジアなどで受け継がれている。
写真2.演劇の劇目や上演時間などの情報が記されている黒板が礼堂の入り口に掛けてあった。一番下には劇団を招く人の名前が書いてある。「叩谢」とは、神様への深い感謝を表す意味である。2015年8月撮影。
私が2015年8月に訪れた福建省北東部にある福清市Q村の大礼堂で鑑賞したのは、福清銭塘閩劇団によるものであったが、それはとある村民が神様への感謝を表すために呼んだという(写真2)。現在でも、福清地域の人々は、他の国や地域への移住や新しい商売を始めるにあたって、事がうまくいくよう神様に願いごと(「許願」)をし、それが叶った場合は、神様への報告と感謝として供え物とともに閩劇を奉納すること(「還願」)を習わしとしている。劇が奉納される場所は、Q村のように専用の大礼堂のこともあれば、祠堂の中に設置された「劇台」であることもある。いずれにして、村人の要望に応じて、劇は年間を通して上演されている。ある村で聞いた話では、年に360回以上上演された時もあるという。この地域の人々が活発な経済活動をしている様子が窺われる。
写真3.出稼ぎ者の送金によって建てられた真新しい一軒家が立ち並ぶ風景は、福清地域でよく見かけられる。写真は2015年8月にR村で撮影したもの。
しかしその一方で、せっかく招かれたプロの劇団による演劇であるにもかかわらず、大礼堂で鑑賞したのは、数名の年配者のみであったのが、どことなく寂しく感じるものでもあった。青壮年層はより多くのビジネスチャンスを求めて都市部または海外に移住し、多くの村では、退職年齢に達した50歳以上の村民しか住んでいないのが現状なのである。村を出た人たちの成功の証として建てられた5、6階建ての洒落た戸建てもまったく人が住んでいないか、ワンフロアしか使われていないことも珍しくないようだ(写真3)。
写真4.W村の媽祖を主神として祀る潯江宮内。二尊の神像はそれぞれ福建閩県(福州)出身とされる白無常と黒無常(七爺と八爺、または謝将軍と范将軍とも)であり、神明の巡行などの際に先頭に立って悪鬼や悪者を撃退する役割を果たす。2015年8月撮影。
福建省の西部と中部にそびえる武夷山脈などの山々が、福建省と隣接区域、および省内の陸路交通を困難にしていた。そのため、水路または海路による交通が発達し、12、3世紀頃から、福建省の人々は海路を利用し海に出て新天地を求めていた。かつてからインドネシア、シンガポール、台湾、日本などに多くの福清出身者が居住し、コミュニティを形成している所以である。ここ20~30年、彼らの足跡はさらに北・南米州、ヨーロッパおよびアフリカまでに広がっており、まさに「四海為家」(四海を家となす、世界のどこにいても根を下ろす)という言葉に表される、旺盛な開拓精神を見せている。福清人のその何も恐れない進取の精神を保っていられるのは、「故郷にある神様の庇護」があってこそのことであり、神に護られたお礼に、供え物と閩劇を神に捧げるという、現世利益な信仰が続く限り、彼らの心は母村(原郷)へ向け続けるであろう(写真4)。