ロサンゼルスチャイナタウンとモントレーパークの華人区
1850年代から80年代にかけて、中国からアメリカへ約30万人の労働者が流入した。これはカリフォルニアのサクラメント渓谷で金鉱が発見されたことによるゴールドラッシュがきっかけとなっている。1860年に調印された英清北京条約により、中国人の海外渡航が公式に認められ、条約成立以降、中国人労働者の流入はますます活発となった。さらに、1865年にアメリカで黒人奴隷制が廃止されたことにより、それに代わる安価な労働力として中国人移民は歓迎され、中国人労働者は金採掘やアメリカ大陸横断鉄道の建設に多大な貢献をした。そのほか、中華食堂、洗濯業、行商など都市での仕事をする中国人労働者も多く、土地の造成や農業においても重要な役割を果たした。
最初の中国人がロサンゼルスに上陸したのは1852年と記録されている。1870年までに確認された“オールドチャイナタウン”は、Calle de los Negros Street(スペイン語で「闇の通り」という意味。現在のLos Angeles Street)の幅50フィートの短い路地に位置し、鉄道建設のために定住した200人近い中国人労働者のコミュニティが形成された。労働者は男性ばかりであったため、初期に住まいを構えた中国人は主に男性であった。その後、洗濯業者、庭師、農場や牧場の労働者も定住するようになった。彼らのほとんどは広東省出身であった。それは、広東省周辺のデルタ地域がアヘン戦争に代表される「西洋の衝撃」によって、中国において最も強い社会的変化を強いられたことが背景にある。彼らはとりわけ洗濯業と青果産業において成功を収め、それに伴いオールドチャイナタウンの領域も拡大され、人口は3,000人を超えた。最盛期のオールドチャイナタウンには、15の通りや路地があり、200を超える建物があった。居住区域に加え、同郷会館や同姓団体、教会の宣教団の組織、病院や寺院も建立され、レストラン、骨董品店、娯楽施設、が立ち並ぶ商業区域として隆盛を極めた。
しかし、1871年10月24日、ロサンゼルス史上最も残忍な人種暴力事件とされる中国人殺人事件が起き、19名の中国系移民が殺害された。この事件を機にCalle de los Negrosストリートは負のイメージを払拭するためにLos Angelesストリートと改称された。1882年に成立した中国人排斥法とそれに続く排斥諸法により、中国人労働者のアメリカへの流入現象はしばらく断ち切られ、中国人による土地や資産の所有も禁止され、オールドチャイナタウンは衰退の途を辿ることとなった。追い打ちをかけるように、ロサンゼルス市は1933年からユニオン駅(Union Station)の建設に着手し、オールドチャイナタウンに居住していた人々を強制的に退去させ、オールドチャイナタウンは解体された。
1938年に新しく完成した今日のロサンゼルスチャイナタウンはかつての “オールドチャイナタウン”とは区別して、“ニューチャイナタウン”と呼ばれている(LA Chinatown公式サイト chinatownia.com参照)。ニューチャイナタウンは、ユニオン・ステーションに隣接しており、オールドチャイナタウンと異なり道幅は広く、建物も密集しておらず開けている。牌楼の入口付近は、新しく清潔な印象の集合住宅が数棟建てられており、その奥には、飲食店、土産屋、銀行等が並ぶ。人気の飲茶レストランは、中国系アメリカ人はもちろん、観光客らで常時賑わっている。
モントレパーク華人区は、ロサンゼルスチャイナタウンから東に10マイルほど離れたロサンゼルス郊外に位置する町である。サンフランシスコやロサンゼルスの伝統的なチャイナタウンとは異なり、牌楼や観光客は見当たらない。中文と英文が併記された店の看板と、アジア系の人が多いということ以外は、典型的なアメリカの住宅街といった印象である。
かつて、ベトナム戦争終結後、モントレーパークには共産主義体制を逃れた多くのベトナム難民が住み着いた。そこへ1970年代後半に中国人不動産業兼投資家が、当時白人が所有していた土地をプレミア価格で買収し、それを中国本土や台湾からやって来た新移民に売却し、華人区として作り上げた。サンフランシスコやロサンゼルスのチャイナタウンから裕福な中国系移民が移り住み、商業地区には中国系スーパーやレストランが建ち並び、高台には高級住宅が建ち、人口の65%はアジア系となり、ほとんどが中国系(東北系、広東系、台湾系、朝鮮族やウイグル族などの少数民族)とベトナムからの移民である。
モントレーパークの一角にある閑静な通りに面したダンススタジオで2023年1月21日に銃の乱射事件があり、11人が命を落とし、容疑者もその後自殺した。現場周辺では春節(旧正月)を祝うイベントが行われており、アジア系同士の痛ましい銃撃事件として世界中で報道された。同年7月に現地を訪れた際、ダンススタジオの看板はすでに外されており、現場はひっそりとしていた。
アメリカにおけるアジア系移民(アジア・太平洋諸島系米国人、AAPI)に対するヘイト行為は近年急増している。ドナルド・トランプ前大統領や米国官僚による差別的な発言により、とりわけ中華系移民が新型コロナウイルスの拡散者として人々の憎悪の標的となった。20年から22年にかけて、約1万1500件の件のアジア系に対するヘイト行為が「Stop AAPI Hate」に報告され、これはパンデミック前と比較して、ヘイト犯罪が339%増加していることを示している。
アメリカ社会において、アジア系移民は外見による人種の違いが明らかゆえ、永遠の「外国人」とみなされ、今日に至るまで暴力や憎しみのはけ口として矛先が向けられることが多かった。いま一度、歴史を振り返ることにより、こうした人や事を広い視野で理解し、反アジア感情や暴力行為を無くし、お互いを受け入れる気持ちを醸成するのではないだろうか。チャイナタウンであれ華人区であれ、これまでの歴史の歩みを踏まえ、共生する街の象徴となっていってほしい。