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「台湾シリコンバレー」新竹というフィールド 

河口充勇

〇「台湾シリコンバレー」の成り立ち

コロナ禍による世界的な半導体不足のなかで、改めて台湾の半導体製造業が大きな注目を集めている。そんな台湾にあって30年以上にわたり半導体製造業をリードしてきたのが、「台湾シリコンバレー」の異名をとる新竹に他ならない。

アメリカの「本家」に比べて、「台湾シリコンバレー」新竹の第一の特徴は、政府主導で開発されたところにある。新竹市の郊外エリアでは、財団法人工業技術研究院(研究開発)、新竹サイエンスパーク(新産業育成)、国立清華大学・国立交通大学(人材育成)といった政府系機関が設けられ、相互に密接な連携が図られてきた。半導体受託生産の世界最大手TSMC(1986年設立)は、工業技術研究院からのスピンオフにより誕生し、新竹サイエンスパーク内に本社を構えるとともに、両大学より優秀な人材を獲得してきた。

新竹サイエンスパークが開設される1980年以降、台湾政府の積極的な政策誘導により、TSMC創業者のモリス・チャン(張忠謀)をはじめ海外から多くのハイテク系高度人材が流入し、「台湾シリコンバレー」のグローバルビジネスを牽引していくことになる。

その意味で、「台湾シリコンバレー」新竹は、「頭脳循環」型の人材移動をめぐる絶好の研究フィールドであるといえよう。

〇「台湾シリコンバレー」の知られざる前史

「台湾シリコンバレー」の物語は、常に中心的役割を担ってきた工業技術研究院の設立(1973年)をもって起点とするのが一般的であり、すでに多くの出版物が刊行されているが、実は、この工業技術研究院には知られざる前史が備わっている。

工業技術研究院の前史をさかのぼると、1936年に台湾総督府が設立した天然瓦斯研究所にたどりつく。日本の「南進政策」の一環として設けられた天然ガス研究所は、そのころ新竹一帯で豊富に産出された天然ガスの軍事的・工業的利用に関する研究開発をミッションとし、内地より理化学分野の先進技術と高度人材が動員された。戦局の拡大にともない拡大の一途を遂げ、瞬く間に台湾有数の研究機関に上りつめたが、日本の敗戦によりわずか10年で閉鎖された。

写真1 1936年開設時の天然瓦斯研究所本館(陳培基氏提供)

戦後、天然瓦斯研究所は、隣接する海軍第六燃料廠新竹支廠(1943年完成)とともに中国石油公司新竹研究所(国営)に改編され、その後、工業技術研究院へとつながっていく。その「遺産」(土地・施設・設備・技術・人材)は、直接的・間接的に戦後新竹のハイテク産業発展(理化学分野から電子工学分野へ)を大いに支えることになった。

〇「台湾シリコンバレー」の産業遺産

写真2 旧・天然瓦斯研究所本館の近景(黃鈞銘氏提供)

新竹市の郊外エリアは、「台湾シリコンバレー」の源流にかかわる日本統治時代ゆかりの施設が多く現存している。旧・天然瓦斯研究所本館は、完成から90年近い歳月を経た現在も工業技術研究院の現役施設として機能している。

写真3 旧・海軍燃料廠新竹支廠跡地にそびえる巨大煙突(黃鈞銘氏提供)

また、旧・海軍燃料廠に関しては、戦後に最新設備の多くが中国本土へ運び去られたといわれるが、その跡地には、研究機関や大学、軍事施設、「眷村」(戦後初期に国民党政府とともに中国本土より移住してきた外省人の居住地)などが設けられた。今も跡地には高さ60メートルの巨大煙突が聳え立っており、往時の面影を偲ぶことができる。

その意味で、「台湾シリコンバレー」新竹は、産業遺産の保存・活用をめぐる有効な研究フィールドであるともいえるだろう。

〇参考文献
「台湾シリコンバレー」新竹について詳しくは、以下の拙稿を参照いただきたい。
「頭脳循環-香港・台湾移民研究の動向を中心に-」『華僑華人研究』第4号、2007年
『覚醒される人と土地の記憶-「台湾シリコンバレー」のルーツ探し-』風響社、2019年
「日台交流史への社会学的接近-2つの『出会い型調査』を通して-」『同志社社会学研究』第26号、2022年