伽藍の無常
私は1993年12月にはじめてベトナムを訪れ、その後はホーチミン市の華人の調査を行うようになった。この間、市内の仏教寺院を訪れることも多かったが、その建物がすっかり建て替えられてしまったり、寺ごと別の場所へと移転して大規模になったりするのも見てきた。
ホーチミン市の市内には、1949年の共産主義革命によって宗教活動の自由が失われた中国大陸から移って来た中国人僧が、1950年代から60年代にかけて建てた寺院が多くある。
2023年7月、私は市内フーニュエン郡にある華厳講寺を訪れた。この寺は、中国山西省五台山の碧山寺の住職をつとめた寿冶和尚が、ベトナムへ来た後、地元のベトナム人から土地の寄進を受けて1954年に建てたものである。
寿冶和尚はその後、ベトナム戦争の戦火が増した1960年代にベトナムを離れて香港に移り、さらにはアメリカへと移った。その時に管理をまかされた地元の華人の、黎文景居士・黄德慧居士夫妻は、1988年から2001年にかけて、この寺を改修した。いま目の前にある本堂は、その時のものである。
私がホーチミン市で華人の調査を始めた時期は、ベトナムと中国の国交が1991年に正常化した直後で、ホーチミン市の華人がベトナム経済を牽引する存在だと政府に認められ、政府から地元の華人に返却された宗教施設が豪華に改修されるようになった時代にあたる。
この寺の本堂も、そのころに木造から鉄筋へと建て替えられ、規模も大きくなった。現在の本堂内で、屋根に高さが足りない柱は、創建時の本堂でも使われていた柱である。
華厳講寺の職員からは、現在政府に改修を申請中であると聞いた。この人物によると、1990年代の建物は、中国式なのかベトナム式なのか、どこか中途半端なので、これから中国式に建て替えるのだという。また寿冶和尚が1958年に中部高原のダラットに建てた天王古刹という仏教寺院は、中国から職人を招いてすでに建て替えたそうだ。
私は2005年8月に天王古刹を訪れたことがある。その時に私が目にしたのは、黎文景居士・黄德慧居士夫妻が改修した本堂である。私が撮影した本堂の写真は、1990年代当時のベトナム華人が改修した中国仏教寺院の建築様式を表すものとして、今では貴重な資料といえるのかもしれない。