Home 研究の現場 #タイ国 施餓鬼荒らし(1)

施餓鬼荒らし(1)

華僑華人の宗教的世界観の中では、旧暦七月は鬼月とも呼ばれ、あの世の門が開いて死者がこの世を訪ねてくるとされる。子孫のいる死者たちはご先祖として家に戻ってきて、料理などの饗応を受けながら、この世に残してきた子や孫との時間を過ごす。日本でいうお盆である(中国語でも盂蘭盆と呼ばれる)。ご先祖になれなかった人たちは身寄りのない魂、すなわち孤魂と呼ばれ、この世に戻ってきても帰る家がないので、お腹をすかせたままで町をさまよう。これが餓鬼である。餓鬼はこのまま放置するとこの世の人に害をなすので、飲食をふるまい供養してあげる。日本語でいう施餓鬼だが、タイ国ではこれを施弧(シッコウ)ないし普度(ポト)と呼ぶのが一般的である。プーケットなど南部の福建人たちは後者、バンコクなどの潮州人は前者を多く用いる。大学の夏休みは旧暦七月にあたることが多いので、私もこの時期にタイ国を訪ねるといきおい施餓鬼のハシゴをすることになる。また各地の施餓鬼の日程はおおむね旧暦で毎年固定されているので、施餓鬼荒らしにはもってこいである。以下ではまずはプーケットの普度を見てみたい(潮州人の施孤については続編で紹介する)。
 普度は一部は廟で、一部は街区単位で行う。どちらの場合も、普度公の紙人形を置き、いっぱいに料理を並べたテーブルをその前に置く。普度公というのは地獄の王で、残忍な顔をして口からは生き血がしたたっているが、観音菩薩のコントロールの下に置かれることで死者の守り神になる。そのため頭の上には小さな観音像が置いてある。
写真1:普度で亀のお菓子を供える

参拝者は日中は各自で普度公を拝む。そのときに亀のお菓子を奉納する。この時期には廟の近くのお菓子屋では亀のかたちをした大きなお菓子を参拝グッズとして売り出す。そのお菓子を放生と称して祭壇前に供えて功徳を積む。これはプーケット独自の習慣である。
 普度が本格的なにぎわいを見せるのは日が暮れてからである。会場の前にはステージが設営され、南部の伝統的な芸能であるリケーなどが披露される。そのほか歌謡ショーなども行われる。これらの演し物については、演目ごとに参拝者の誰かが買い取るという形式をとる。決められた額を納めて費用一切を負担することで功徳を積むというやり方である。そのほかに、タイ語でチャオレーと呼ばれる海民の踊りが雇われて奉納することもある。
写真2:浜辺でお経をあげて普度公を送る

夜半にすべてが終わると普度公を送り返す。普度公を紙銭や紙の供物とともにトラックに乗せて浜辺に向かう。そこで俗人誦経師がお経を唱え、火で燃やしてあの世に送る。バンコクなどと違ってプーケットには大乗仏教寺院がないので、代わりに誦経に通じた俗人たちが廟行事などで活躍する。神や霊を浜辺で送り迎えするのもプーケットの特徴である(バンコクでは寺廟の裏手で焼却する)。これは彼らの祖先がもともと海を渡ってプーケットにやってきたという記憶を反映している。海から来た祖先たちは、ふたたび海に送り返すのである。
写真3:秘密結社の頭目用特別テーブル

プーケットの普度の特徴をもうひとつあげるならば、そこに秘密結社の記憶が濃厚に保たれていることである。秘密結社というのは反清復明を掲げる中国系移民の結社組織であり、19世紀には中国からの移民の手配や冠婚葬祭を含む福利厚生なども担っていた。その一方で秘密結社は賭博場、アヘン窟、売春宿の経営、酒類の販売などを独占し、独自の武力組織をもって錫鉱山の利権を相互に争っていた。ペナンからプーケットにかけては、義興や建徳などがその主役である。この秘密結社どうしの争いは苛烈を極め、ペナンやプーケットでは町全体が争乱状態になることもしばしばであった。一部の普度では現在も秘密結社の頭目たちの霊に特別の供物テーブルを用意したり、秘密結社紛争の死者を弔うテーブルを設けたりしているのがその名残である。(2に続く)
写真4:秘密結社戦争の死者を忠勇公として祀る

(2に続く)