日本華僑華人学会研究奨励賞


■ 日本華僑華人学会は、日本における若手研究者による華僑華人研究のよりいっそうの促進を図るために、以下のように、日本華僑華人学会研究奨励賞を設けています。


1.若手の本会会員の研究成果の中から、毎年優秀な著作(単著に限る)を原則として1点選び、日本華僑華人学会研究奨励賞を授与する。

2.偶数年度は選考年度の前2年度に公刊された論文(雑誌論文、共著作の中の単著論文、刊行時に満40歳未満の会員の著作)を、奇数年度は同様に前2年度に公刊された単行本(刊行時に満45歳未満の会員の単著)を対象とする。

3.日本華僑華人学会研究奨励賞に選考された著作の著者を年次大会で表彰し、表彰状と副賞(5万円)を授与し、作品名・要旨を本会会誌及び学会ホームページに掲載する。

4.日本華僑華人学会研究奨励賞は、理事会内に設ける日本華僑華人学会研究奨励賞選考委員会が、自薦及び他薦に基づいて候補作品を選び、理事会において決定する。ただし、『華僑華人研究』に掲載された論文については、刊行時に40歳未満のものは、自動的に審査に付される。

5.一度受賞した会員は、再度同じ部門(論文で受賞した場合は論文部門、単行本で受賞した場合は単行本部門)では受賞の対象にはならない。論文で受賞した著者が単行本で、あるいは単行本で受賞した著者が論文で応募することは可とする。但し、単行本で受賞した後応募する論文が、単行本の内容の一部である場合は対象外とする。






■2016年度 日本華僑華人学会研究奨励賞選考に関する報告■

受賞者と対象作品:長田紀之「植民地期ビルマ・ラングーンにおける華人統治追放政策の展開を中心に」『華僑華人研究』第11

〔授賞理由〕

本論文は、1920年代までの植民地ビルマの首都ラングーンにおける華人統制策の変遷とその地域性を析出しようとした秀作である。19世紀後半から20世紀前半における植民地期東南アジアの諸国家では、近代国家としての機構を整え始める過程で、華人の広域ネットワークの経済的利用と、自律性の高い華人社会の国家法秩序への組み込みが共通の課題となっていたが、各地域で現地の実情に応じた独特の華人統制の仕組みが生み出されていた。本論文は、植民地期の東南アジア地域に比べて、断片的にしか研究されてこなかった植民地ビルマの状況について、従来未使用の植民地行政文書を用いて、華人統制制度形成過程にみられる植民地ビルマの地域性を実証的に明らかにしており、本研究はその空白を埋める非常に意義の大きな研究である。

 植民地期東南アジア地域の華人を対象とする研究においては、各地域の華人についてその実態を把握するためのひとつのアプローチとして、華人を対象とした制度や体制の構築に着目する研究がある。こうした問題関心に引き付けて本論文も、その目的や意図を紹介している。結論として、ラングーンにおける華人の動向が治安上などの脅威であると認識したビルマ州政庁は海峡植民地の制度を参照して華人の統制を始めたものの、華人人口の規模の小ささゆえに、華人のみを対象とする統治の制度や体制を構築しなかったことを明らかにした。

 華僑華人研究は、ある地域や時代における華僑華人の実態について解明することを目指すとともに、華僑華人に着目するからこそ見えてくるある地域やある時代の全体像を描き出すことも目指している。その意味では本論文は大きな魅力を放っている。華人の統制をきっかけに導入された追放という制度に着目したことにより、インド人など非華人系も含めた外来者の排除につながっていく道筋を示している。それが間接的に、1920年代以降のビルマ化を促す政治・社会制度となった。そして、それは現在に至るまでミャンマー社会を規定している「土着」と「外来」、「ビルマ人」と「非ビルマ人」の範疇区分へとつながっていくものである。本論文は、華人を対象とした制度や体制の構築に関心を向けるだけでなく、華人に着目することによって見えてくる華人・非華人双方を含む地域の全体像を描き出すことに成功している

 以上のことから、長田紀之氏に日本華僑華人学会研究奨励賞(論文部門)を授与することを、日本華僑華人学会研究奨励賞選考委員会委員の全員一致で推薦する次第である。

 

                        2016103
                              日本華僑華人学会研究奨励賞選考委員会
                              山本須美子、篠崎香織、曽士才委員長

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■2015年度 日本華僑華人学会研究奨励賞選考に関する報告■


受賞者と対象作品: 北村由美著『インドネシア 創られゆく華人文化―民主化以降の表象をめぐって』明石書店、2014年5月31日刊

2015年度の「日本華僑華人学会研究奨励賞(単行本部門)」は、研究奨励賞選考委員会による厳正な選考の結果を踏まえ、理事会にて受賞者が決定されました。


<授賞理由>

本書は、ポスト・スハルト期の民主化過程にあるインドネシアの華人を対象として、その「華人性」の表出現象を幅広く分析した研究である。現地華人社会にとって激動の時期であった直近15年の華人史の一こまを、長期に亘る現地での当事者へのインタビューや関係資料に基づいて、詳細に検討している。

第一章と第二章では、古典的文献から最近の研究の要点を丁寧に整理したうえで、インドネシア華人史と該当期の政治情勢の推移を押さえ、続く三つの章では異なる場面における「華人性」表出の事象を分析する。第三章で言語景観を、第四章では儒教の再公認化を軸に宗教を、第五章では印華文化公園を中心に文化表象を論じる。いずれも、ジャカルタを軸としたナショナルな舞台でインドネシアの「華人性」がどのように表出してきたのかを分析する内容となっている。最終の第六章はプラナカン概念の再定義による新しい表象の方向性を、コーヒー・テーブル・ブックを題材に、海峡華人やフィリピン華人の同種出版物との比較を交えつつ論じている。

紋切り型でなくニュアンスに富んだ「華人性」研究の展開と、フィールドワークに基づく華僑華人研究の可能性をもつ意欲作であることが評価された。そして、他地域の華人との比較の視点を交え、現在なお変容の過程にある各ホスト国での華人性の将来像を予見している点が新しいと評価できる。しかしながら、本書に問題がないわけではない。広く先行研究を踏まえた読みやすい著作に仕上がってはいるが、先行研究を批判的に整理したうえで著者自身の立場を学術的に明示化するという作業がしっかりなされていないという弱さがある。さらに、「華人性」とは一体何なのか。本書では華人性を所与のものとは捉えず、表象される華人と実体としての華人が乖離しながらも、華人性がナショナルな場面で表象されることの重要性を指摘している。それでは、実体としての華人性と、表象される華人性、中国人性の三者の違いは何なのか。インドネシア華人性とフィリピン華人性はどう違うのか。もっとも重要な「華人性」概念についての本質的な議論が欠如しているようにも思える。

以上のように、理論的には未熟な点はあるが、歴史性を帯びて生じたプラナカン的な同化の趨勢が他地域の華人社会にも存在し、普遍的となりつつあることの指摘は重要であり、今後の華人研究の一つの方向性を示しているものと考えられる。

以上のことから、北村由美氏に2015年度日本華僑華人学会研究奨励賞(単行本部門)を授与することを、日本華僑華人学会研究奨励賞選考委員会による厳正な議論を経て、推薦する次第である。

2015年9月30日
   日本華僑華人学会研究奨励賞選考委員会
   五島文雄、斯波義信、濱下武志、山本信人、吉原和男、陳來幸(委員長)


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■2014年度 日本華僑華人学会研究奨励賞選考に関する報告■


受賞者と対象作品: 持田洋平「シンガポール華人社会の「近代」の始まりに関する一考察―-林文慶と辮髪切除活動を中心に」『華僑華人研究』第9号

2014 年度の「日本華僑華人学会研究奨励賞(論文部門)」は、研究奨励賞選考委員会による厳正な選考の結果を踏まえ、理事会にて受賞者が決定された。


<授賞理由>

本論文は、シンガポール華人の辮髪切除活動を通じ、華人の「中国ナショナリズム」の形成過程を解明しようと試みた秀作である。「改革主義者グループ」とその中心となる林文慶の出現と1898年・1899年に繰り広げられた辮髪切除を目的とした活動が、ネイションとしての華人という観念出現のきっかけとなり、これらがシンガポール華人社会の「近代」の始まりとして位置づけられるとする。さらに、この活動により華人社会内で生じた大きな対立は、エスニック・グループとしての華人を規定する条件とネイションとしての華人を規定する条件が異なっていたことを示すと論じる。植民地政庁の公文書、海峡植民地立法評議会の年次報告書、現地英字並びに華字新聞、種々の雑誌を渉猟し、これらの点を実証的に論証している。

それまでのシンガポール華人社会は複数の言語グループによって分断された状態にあり、エスニック・グループとして共通する「華人性」すら有していなかった。植民地政庁による統治の制度化、すなわち秘密結社に対する法的規制の開始、華民護衛署と華民諮詢局、奨学金制度の設立を契機に形成された林文慶などの改革主義者グループは、儒教と中国語に「華人性」を見出した。しかしながら、華人社会の大部分が辮髪をエスニシティとしての「華人性」の一つと捉えていたため、辮髪切除活動は結果として様々な議論を噴出させ、対立を表面化させた。シンガポール華人社会がこれ以後変化してゆく端緒としての二つの出来事(林文慶の出現と辮髪切除活動)に着目した研究となっている。

  切り口の設定に奥行きの深さと幅の広さが感ぜられ、これに応じた資料の組み立てにも独自の掘り下げと深みが認められる点、キーワードについても研究史を踏まえた丁寧な説明があり、今後の課題がしっかり見据えられている点、また、華僑華人を内と外を切り離した問題としてではなく、両者の相互関係・相互影響の角度から検討している点が高く評価できる。

以上のことから、持田洋平氏に日本華僑華人学会研究奨励賞(論文部門)を授与することを、日本華僑華人学会研究奨励賞選考委員会委員の全員一致で推薦する次第である。

2014年9月30日
              日本華僑華人学会研究奨励賞選考委員会
              五島文雄、斯波義信、濱下武志、吉原和男、陳來幸(委員長)


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■2013年度 日本華僑華人学会研究奨励賞(単行本部門)授賞理由■


受賞者と対象作品:李正熙著『朝鮮華僑と近代東アジア』京都大学学術出版会 2012年5月31日刊

2013年度の「日本華僑華人学会研究奨励賞(単行本部門)」は、厳正な選考の結果、下記の推薦に基づき、理事会にて受賞者が決定されました。


<授賞理由>

本書は、1880年代の朝鮮王朝の開港期から1940年代の第二次世界大戦前後までの朝鮮における華僑の活動の実態を解明した大作である。東アジア/北東アジアにおけるヒトの移動というなかで、「山東幇」を中心とした華僑のネットワークが、商業、製造業において大きな勢力を形成していただけではなく、労働者や農民としても華僑が日本の朝鮮統治に深く関わっていたということを実証的に示している。また、これまで用いられていなかった非常に多くの資料を韓国、台湾、中国等において発掘し、それらにもとづいて、朝鮮華僑の経済活動を、織物商、鋳物業者、農民などの生業別に詳細に分析しており、完成度の高い著作となっている。

日清戦争後から朝鮮半島の日本植民地期における華僑に関する研究は、華僑の社会経済活動が不活発であったという先入観に影響され、非常に数が少なかった。また、少ない研究の中心は、華僑商号におかれていた。しかし、本書は、この時期における華僑像を以下のいくつかの点で根本的に塗り替えた。第1に、人口規模の面で、朝鮮華僑は、商人よりも労働者や農民の方が多かったことや、植民地期の朝鮮で第1次、第2次産業に従事する華僑人口は、日本人の約半分を占めていたこと、1910年以降の朝鮮華僑人口は、日本の華僑人口を一貫して上回ることなどを明らかにした。第2に、華僑、華僑資本は、朝鮮近代史研究においては等閑視されてきたが、その経済活動の勢いは、日本人を圧迫するほどのものであった点を実証的に示した。第3に、織物商の活躍に見られるように、華僑は中国と朝鮮の間の取引のみに頼るのではなく、日本人織物問屋からの買い付けルートなどを確保するなど、東アジアに広がる通商網を開拓したことを明らかにした。総じて、東アジア近代史という広い視野の中で、本書が、朝鮮華僑が商業、軽工業、農業いずれの分野においても、無視しえない影響力を持っていたことを詳らかにし、これまでの華僑研究での欠落部分を埋めた功績は、大きいと言えよう。

以上のことから、李正熙氏に日本華僑華人学会研究奨励賞(単行本部門)を授与することを、日本華僑華人学会研究奨励賞選考委員会委員の全員一致で推薦する次第である。

2013年9月30日
   日本華僑華人学会研究奨励賞選考委員会
   陳來幸、五島文雄、菅谷成子、山下清海、三尾裕子(委員長)


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■2012年度研究奨励賞■


受賞者と対象作品:八尾祥平「1950年代から1970年代にかけての琉球華僑組織の設立過程」『華僑華人研究』8号 pp.7-23, 2011年12月

2012年度の「日本華僑華人学会研究奨励賞(論文部門)」は、厳正な選考の結果、下記の推薦に基づき、理事会にて受賞者が決定されました。


<授賞理由>

本論文は、1950年代から70年代にかけての沖縄社会において、国府が公認した三つの琉球華僑組織が形成された過程を、国府の動向に注目しつつ分析した労作である。八尾氏は、台湾側の外交部档案資料、また沖縄側の新聞記事や統計資料を渉猟しつつ、文書資料で明らかにされにくい部分については、関係者への聞き取り調査によって補うことで、国府の国家レベルでの政策目標が沖縄社会でどの程度実現したのか、また華僑組織がどのように設立されたのか等、これまで詳細な検討がなされてこなかった琉球華僑社会と国府との関係の諸相を詳らかにしている。

第二次世界大戦後、国府が日本の琉球に対する潜在主権を公的には認めなかったことから、沖縄には領事館が設置されず、複数の華僑組織や個人が査証発行等の業務を請け負った。また、琉球在住の華僑も出身、生業等の面で非常に多様であるために、華僑が全体として統合される契機に乏しかった。本論文では、以上のような背景に基づいて、以下の諸点を明らかにしている。第一に、琉球の米軍施政から日本への復帰という大きな社会変動の中での危機感を背景に「本国」が統合の軸となって琉球華僑総会が設立されたこと、第二に、その後の日華断交によって、国府の意図とは異なり日本国籍取得者が続出したため、生活不安からまとまりを見せた華僑を利用して沖縄における国府の影響力を高めようとした国府のもくろみが失敗したこと、第三に、国府が琉球華僑社会を取り込もうとした事実と華僑の側の記憶との間にズレが生じたことである。このように、八尾氏の論文については、問題提起が明瞭であり、それに対して、論理的に論述を展開して、確かな根拠資料に基づいて結論を導き出しており、手堅い作品となっている点が高く評価された。

本論文は、八尾氏の琉球華僑社会の歴史についての研究の一部を構成するものと思われる。今後は、アメリカ側の資料なども利用することで、より多面的で実証的な研究が展開され、また、沖縄のおかれた国際的に特殊な状況が、琉球華僑社会を他の日本の華僑社会の在り方と異なるものにしたのかどうか等といった比較研究がなされることで、八尾氏の研究が更に価値の高いものになると考えられる。

以上のような点を考慮し、今後の八尾氏の研究の発展に期待して、奨励賞を授与することを日本華僑華人学会研究奨励賞選考委員会委員の全員一致で推薦する次第である。

2012年9月29日
   日本華僑華人学会研究奨励賞選考委員会
   三尾裕子(委員長)、陳來幸、五島文雄、菅谷成子、山下清海


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■2011年度研究奨励賞■


今年度の研究奨励賞候補著作として自薦候補1、他薦候補1の計2点のエントリーがあった。選考委員会(陳來幸委員長)で厳正な審査を行った結果、今年度は該当作品なしという結論に達した。


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■2010年度研究奨励賞■


研究奨励賞選考委員会(陳來幸委員長)での厳正な審査の結果、園田節子氏(神戸女子大学文学部神戸国際教養学科准教授、一般会員)『南北アメリカ華民と近代中国──19世紀トランスナショナル・マイグレーション』(東京大学出版会、368頁2009年4月)が2010年度日本華僑華人学会研究奨励賞受賞著作に選ばれました。


<授賞理由>

本書は、トランスマイグレーションの議論を踏まえて、近代の始まり、「近代国民国家」形成期の世界におけるヒトの国際移動に着目した、グローバルヒストリーという点でも貢献できる有為な業績である。とりわけ、従来日本では手薄であった北米・南米の中国系移民を扱い、送出国である中国の関与とその影響に焦点を当てた点で、蓄積の尐ない分野での力作といえる。

「華工の越境と国家」を扱う第Ⅰ部では、近代的文脈下における「国際」移動のはじまりとしての南北アメリカへの中国人移民の特質を提示している。つまり、強制的要素と不可分の状態で広大な地理的隔絶を超えていく新しい移民現象に注目し、①外国公私機関の直接間接のかかわり、②単純労働従事、③詐欺、暴力、脅し、負債の存在などの諸特質が指摘されている。次に、容閎のペルー調査と陳蘭彬のキューバ調査の分析を通し、本国に保護を求める華民に対応するため、僑務を遂行する主体として立ち現われた国家が、華民コミュニティと関わりをもった「はじまり」の経緯を説明している。ついで、1878年ペルージア号の歴史的意義を確認し、国際世論の連動とともに東アジアにおける苦力貿易抑制体制が实動し始め、中国からのひとの移動が減速していく事態が説明されている。第Ⅰ部が扱った3つの章は、太平洋を越える新しい移民のダイナミズムを「国家」との関わりで説明した点で新鮮である。

「南北アメリカの「官」と「商」」と題する第Ⅱ部は6章構成からなり、サンフランシスコ、カナダ太平洋岸、パナマ・エクアドル・ペルー・チリの華民社会を扱い、相互の関連についても言及する。総じて「清朝中国」がいかに華民を捕捉し、近代的な外交制度を確立していったのかを検証しているが、異なる華民社会をとり結ぶ存在として「転航華商」が果たした役割に特に注目している点が斬新である。排華運動を避けてメキシコやキューバに移った華商が、サンフランシスコ型チャイナタウンの経済・文化を転航先社会に「再生」させたというのである。労働者層に目を向けがちであったこれまでの研究に対し、尐数とはいえ華商が果たした役割を重視する姿勢が終始本書に貫かれている。国家が領事館や教育などを通じて華民コミュニティに直接関与を始めたこの時期、「官」と一般華民を仲介する存在としても「商」が果たした役割は重要であったという議論に帰結してゆく。

一方、華商が具体的にどのように活動して現地社会での自らの地位やネットワーク等を築いていたのか、また、清朝国家のアプローチをかれらがどのように捉えて、具体的にどのように対応したのかなど、さらなる議論の深化が期待される部分も散見される。

ともあれ、扱う時空範囲が広範であることから、これまでの研究の問題点を指摘し、今後発展させていくべき研究課題を明示的に示したという点において、パイオアニア的著作であると高く評価できる。果たして、同時期の東南アジア華民社会との相違点は何だったのであろうか。本書が我々に投げかける新たな問いかけもスケールが大きい。正に学会研究奨励賞に相応しい著作であると判断できる。

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■2009年度研究奨励賞■


研究奨励賞選考委員会(古田和子委員長)での厳正な審査の結果、張玉玲氏(山口県立大学国際文化学部講師、一般会員)『華僑文化の創出とアイデンティティ:中華学校・獅子舞・関帝廟・歴史博物館』(ユニテ、229p、2008年6月)が2009年度日本華僑華人学会研究奨励賞受賞著作に選ばれました。


<授賞理由>

本書は、横浜と神戸両地域の華僑による文化活動のなかから、中華学校、獅子舞、関帝廟、歴史博物館という4つの文化的シンボルを取り上げて、華僑文化の創出とアイデンティティの問題を分析した優れた著作である。

本書では、可視的・外的な文化的シンボルの分析をとおして、価値観や文化観などの内的な文化的シンボルを考察するアプローチが取られている。華僑のエスニシティ研究では、中国本土の文化あるいは華僑が来日当初に背負っていた文化を「本物の伝統」「真正な文化」とし、それらの要素がどれほど受け継がれているかを分析することが多かった。このように、「変わるべきでない」文化が参照対象として設定されることによって、在日華僑は文化の消極的担い手として描かれてきたし、また、1980年代から、華僑が中華街を舞台に活発な文化復興運動を展開しはじめた現象も、観光化や世代交代による文化の形骸化として分析される傾向があった。これに対して、著者は、エスニック集団の文化変容を、伝統的「文化の消滅」ではなく新しい「文化の創造」として捉えている。すなわち、文化の担い手による能動的な文化操作とその他者への提示、という視点を提出することによって、観光化がアイデンティティ形成に与えるプラスの影響も考察されるのである。

華僑が自らの文化を復興、創造し、文化を能動的に操作しながら、それらを他者である日本人や他の文化集団に対していかに提示していくのか、また文化操作の行為が華僑アイデンティティの形成とエスニシティの継承にどのように作用しているのか、これらの課題が明確な分析枠組の設定によって解明されている点は本研究の優れた特質であり、本書は正に学会研究奨励賞に相応しい著作であると判断できる。

本書では、華僑の文化活動の歴史的変遷を概観したうえで、文化継承者の育成シンボルとしての中華学校の検討、横浜華僑による儀礼的シンボルとしての獅子舞の伝承、視角的シンボルとしての関帝廟の再建、解釈的シンボルとして、1979年に設立された神戸華僑歴史博物館の取り組みが考察されている。また、著者が2000年から2007年に行った聴き取り調査の成果として、華僑二世、三世、華僑社会へのリターン者らの語りに現れるアイデンティティ再構築のプロセスが考察されている。

日本における差別政策や国際情勢のなかで形成された中国人としてのアイデンティティが、日中関係の改善や中国の国際的地位の向上、中国文化を提示する場としての中華街の再構築などによって、段階的に変容していくプロセスが丁寧な叙述によって示されている。その結果として、新たな中国文化が生まれたこと、また、獅子舞の技能習得のためにシンガポールなどアジア諸国の華僑華人社会との交流によって、日本、中国という国家・民族を超えたトランスナショナル・アイデンティティが形成されたことが指摘されている点も示唆的である。

なお、本書の第4章「文化的シンボルの創出とエスニック境界の定位」は、本学会学会誌の創刊号に掲載された論文「横浜華僑の文化復興運動とエスニック・バウンダリーの再定位-横浜関帝廟の再建および関帝誕の創出を通して」が基になっており、本書の研究奨励賞受賞は学会に所属する若手研究者に対して励みになるものと確信する。

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■2008年度研究奨励賞■


研究奨励賞選考委員会(小木裕文委員長)での厳正な審査の結果、奈倉京子(厦門大学南洋研究院PD研究員)の「過渡的居場所としての『ベトナム帰国華僑』」(『華僑華人研究』第4号、17-43頁、2007年11月刊)が2008年度日本華僑華人学会研究奨励賞著作に選ばれました。


<授賞理由>

本論文は、2005年3月から2006年4月までの期間、中国広東省台山海宴華僑農場に住み着き、著者が行った人類学的フィールドワークに基づいて書かれた「ベトナム帰国華僑」に関する優れた著作である。近年、現地調査やインタビュー調査に基づく実証的な華僑華人研究が多く行われているが、ともすれば収集したデータの分析や解明の点で不十分さや論証における課題を抱えている場合が少なからずある。本論文はそれらとは異なり、データの意味するものやそこから解明できるものや課題を明確に分析・記述している。単なるベトナム帰国華僑の生活実態を記述したものではなく、そこには自分は何者かというアイデンティティの問題と絡ませて分析・考察したことで、華僑華人研究を普遍的テーマである人の生活環境の移動に纏わる研究テーマにまで発展させたことに本論文の意義があり、正に本学会の研究奨励賞に相応しい著作であると判断できる。

本論文の事例対象となった広東省台山海宴華僑農場にあるN村は主にベトナム、インドネシアから帰国した華僑によって構成されている。過去の研究では、帰国華僑という集団が現地社会に溶け込んでいくという一方的な変化を前提しにして議論が行われていたが、著者はこういった現地社会への同化という枠組みでは分析できないという視点から、ベトナム帰国華僑のカテゴリーの輪郭を描きながら、彼らの置かれている実態について様々な角度から観察・考察している。農場における政治・社会・経済的地位、文化摩擦と集団意識の形成、帰国華僑としてのアイデンティティ、「打斎」にみられる固有の文化要素、経済状況・結婚・再移民の願望などが、著者の鋭い問題意識と長期の滞在によって濃密に構築された人間関係・信頼関係に基づく観察や詳細なインタビューに裏付けされ、的確な記述と分析がなされているのである。

表題にある「過渡的居場所」や「再移民」については、著者も今後の課題として述べているように、ベトナム帰国華僑を取り巻く複数のカテゴリー(アイデンティティ)の位置づけとその意識化と変化について、更なる研究を深化させることで、より解明されることが期待されるし、著者も近い将来の研究でそれに応えてくれることを確信している。

著者は本論文の中では他のカテゴリーとして比較している台山海宴華僑農場の「インドネシア帰国華僑」のアイデンティティの芽生えについて、そのプロセスを考察した論文『インドネシア帰国華僑から「中国系インドネシア系移民」へ』(『白山人類学』11号、119-146頁、2008年3月)を公刊している。また、帰国華僑の社会保障に関する優れた論考「帰国華僑の社会保障に関する一考察」(『海外社会保障研究』第163号、98-108頁、2008年6月)も公刊しており、若手研究者として、着実に成果をあげている。これらの論文を基に広東省の帰国華僑の一連の研究が近い将来に単著としてまとめられることが大いに期待される。

なお、厳しい査読を経て本学会の学会誌に掲載された本論文が、研究奨励賞の候補作となったことは、今後本学会に所属する若手の研究者に対する大きな励みになると確信している。

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■2007年度研究奨励賞■


研究奨励賞選考委員会(濱下武志委員長)での厳正な審査の結果、津田浩司氏(東京大学大学院総合文化研究科、学生会員)の「中国寺院か仏教寺院か?―スハルト体制下インドネシアの交渉される華人性―」(『南方文化』第33 輯、67-106 頁、2006 年11 月刊)が2007 年度日本華僑華人学会研究奨励賞受賞著作に選ばれました。


<授賞理由>

本著作は、2002 年4 月から2 年間、インドネシア、中部ジャワ州にて著者が行なった人類学的なフィールドワークに基づく、優れた論文である。著者の専攻は文化人類学であるが、日本の華僑華人研究では蓄積が少ないインドネシアでの堅実な実地調査に基づくという「現地性」と「資料性」、文献など各種の資料を用いて多角的に記述・分析しているという「学際性」、そして論文自体の文章に見られる力強さが今後の活躍を大いに期待させるという「将来性」等、華僑華人研究という未だディシプリンが確立していない分野のもつ諸特徴に照らして、本学会の研究奨励賞にふさわしい著作であると判断できる。 ジャワの小都市、ルンバンに存在する2 つの華人の寺廟、「慈惠廟」と「福徳廟」は、本来、華人居住区のなかで別個に管理と祭祀が行われてきたが、1970 年代後半以降、統一的な組織の下で管理・運営が行われるようになった。しかしスハルト体制末期の1995 年、それまで仏教の礼拝施設とされてきたこれらの寺廟が、当地の華人たちの働きかけによって、華人の寺廟へと地位が変更された。「唯一なる神への信仰」を国是とするインドネシアにおいて、仏教寺院であることは国家公認の宗教施設であることを意味するが、この地の華人社会は、その看板を外し、「チナ(華人)の信仰」という民族の文化に居場所を見出すことを選んだ。

この興味深い出来事を、口述史による歴史の再構成を含む関係者へのインタビューと、現地の新聞や法令を用いた文献研究の両方を丹念に行なうことから記述している。さらに、その分析の過程では、インドネシア華人社会の事例に即して、「華人性」という華僑華人社会研究一般にとっての中心課題のひとつを扱っている。著者が本論文の注のなかで示唆するところによると、「華人であること」や「華人らしさ」として表現されるエスニックな意識は、人々に最初から備わっているのではなく、日常生活の過程のなかで人々に意識化されていくような種類のものだという。

本論文が荒削りな印象をもたらすことは否めない。タイトルにある「中国寺院」と「仏教寺院」という用語は、インドネシアの文脈に即して採用された日本語の訳語であるため、華僑華人研究一般の用語としては誤解を与えかねない。また副題の「交渉される華人性」は、この地の中国にゆかりをもつ住民たちが、政府との交渉のなかで自分たちの「華人性」を主張していくダイナミズムをひとことで表現したものだが、日本語としては通じにくい。このほか本論文には日本語表現のうえでさらなる工夫を要する箇所が散見される。

しかし本論文は著者の公刊第一作である。情報の出所や補足の説明を細かく示した注と、読者を出来事に引き込むような魅力的な文章からは、著者の研究に対する真摯な態度と、今後の独創的な研究の可能性が読み取れる。本論文では直接には扱われていないが、世界の華人社会の多くで顕著に見られる国際移動と華人性との関係や、当該華人社会の統合を成り立たせている社会的・経済的基盤についても、今後続けて発表されるはずの別の論文で的確に論じることになると思われる。そして、ジャワの事例を扱った一連の研究が近い将来に単著としてまとめられることも期待される。

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